こぶとりじいさん
作者:すとむみずみ
むかしむかしと言えば否定はできないけど、誇張表現と指摘されれば、それもまた否定できないから、改めて言い直すと、わりとむかし、都から山をひとつ越えた田舎の村に、おじいさんとおばさんが暮らしていました。
おじいさんはとてもやさしい人でした。笑ったらとてもにこやかで、おばさんが惚れたのも納得できなくもなくなくなくなくありません。
おじいさんの肉体には、余分なものがひっついていました。
余分な脂肪が、お腹のまわりにたまっていました。
そんなおじいさんの容姿を見て、村の人たちは、おじいさんのことを「小太りじいさん」と呼んでいました。
そんな小太りじいさんの隣の家に、いぢわるなおじいさんが住んでいました。
いぢわるなおじいさんは、小太りじいさんよりも少しばかり太っていたので、村の人たちはいぢわるなおじいさんのことを「ねお小太りじいさん」と呼んでいました。
ねお小太りじいさんは、自分がねお小太りじいさんと呼ばれていることを知りません。
小太りじいさんは、彼を煩わす脂肪をとるために、都へと旅に出ました。
その日の夜、小太りじいさんは、なにかが低くうなるような声を聞きました。その声は、声の主の空腹を告げていました。
小太りじいさんは、たまたま通りかかった鹿を素手で狩り、その肉を持って声のほうへと向かっていきました。
声の主は、赤鬼さんでした。赤鬼さんは、小太りじいさんからもらった鹿肉を平らげても、まだ空腹だという意味の言葉を言いました。
赤鬼さんの命令で、赤鬼さんの腹がふくれるまで、何度も何度も鹿を狩ってきました。途中からは都で買ってきました。
気がつけば、あたりは明るく、陽が昇っていました。
そうです、いつの間にか小太りじいさんはだいえっとに成功していたのです。
目的を果たした小太りじいさんは、村に帰ると、村の人たちに、「赤鬼のおかげでだいえっとに成功したのじゃ」と、真偽を織り交ぜて話し始めました。
その話を聞いたねお小太りじいさんは、さっそく山へのぼりました。
夜、ねお小太りじいさんは、鹿の肉を持って赤鬼さんのところへ行きました。
ところが、赤鬼さんは小太りじいさんの時点で鹿肉を食べ過ぎていて、おでぶにな
っていました。
ねお小太りじいさんにお肉を差し出された赤鬼さんは、馬鹿にされたと勘違いして、怒り、魔法を使って、自分の脂肪をねお小太りじいさんに移しました。
なんとか村に帰ってきたねお小太りじいさんは、村人に、今度はねお小太りじいさん(改)と呼ばれました、とさ。
めでたし、めでたし。
こぶとりじいさんは、日本の民話(昔話)。世界にも類例がある。
老人が、鬼に質草として頬の瘤を取られる説話。一般的に二人の翁(年老いた男性)が連夜で鬼の宴に参加する型が多いが、民話の常として様々な類型があり、ストーリーも様々である。鎌倉時代の説話物語集『宇治拾遺物語』にも「こぶ取り爺(鬼にこぶとらるゝ事)」として収載されており、「ものうらやみはせまじきことなりとか」で結ばれている。
起源・類話 [編集]
〈ものうらやみをしてはいけない〉という教訓的な言葉があり、同じ型の話は古く『宇治拾遺物語』第三話に見られるがその話をこの話の出発点とすることは危険である。 日本の1623年(元和元年)には成立していた『醒睡笑』巻1と巻6とに前半と後半とが分離した話としてのっており趣向を異にしている。当時すでに〈鬼に瘤を取られた〉という奇異な話が世間に流布されていて、その話に多少の文飾が加わったと見るのが妥
当のようである。 この話は世界的に広く分布し、東洋では顔のこぶ、西洋では背中のこぶとなっている。踊りとともに歌詞の面白さ、巧みさ(一ぼこ二ぼこ三ぼこ四ぼこ)でこぶを取ってもらう話が多く、それによって富を得るのが古態となる話が多い。
因篇幅问题不能全部显示,请点此查看更多更全内容